「ほっ」と。キャンペーン

やりたいようにやる。そう自己満足。日々変わっていく考え方がやけに面白い。


by unntama01
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カテゴリ:日記( 322 )

お引越し

つっても、なんも用意するもんねーんだよな。

何が居るの?

度胸と根性?

なに、このスポコンドラマみたいな謳い文句。

努力、勝利、友情!みたいな。
みたいな。みたいな。

ほんっとに、毎日考えてるんですが、全く思いつかないのです。

たった3ヶ月ですからね。
ホームシックにもなりゃしないと思うんです。

兄が誕生日に散らし寿司とお味噌汁とお茶漬けのレトルトパックをくれたのですが、使う機会あんのかなと。

まぁ好きなんだけどね「梅」

1パックって50個くらい入ってんのよ。

毎日食えっての?

いや、すっごく心配してくれて嬉しい心遣いなんだけどもね。
ホントに嬉しいんすよ。

友達が出来た時にパーティでも開きます。

一応、電子辞書と一眼レフを購入しました。

一眼レフは壮大な景色を撮る為に、次に海外に行く時は購入するぞ!
と思っていたので。

嬉しくて適当に撮ったモノが凄くてびっくり。

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「水!!止っとるぅ?!!!」
みたいな。
これってシャッタースピードが早いからなんですよねー。すげーわ一眼さん。

なんか勉強しにいくのに遊びに行くみたい。

実際そんな感じだーけーどーもーさー。

こんな緩くていいのだろうか。

出発まで残り4日。

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by unntama01 | 2010-04-10 05:10 | 日記

海外に立ちはだかる壁

先日、上司に呼び出されました。


「まだ、気持ちは変わらんか・・・?」

内心、
(だから、何言われてももう行くって決めてるんだって!来年の5月には行くんだってば!)

と思いながら、何かあるなと思いながら

「はい・・・。課長も分かってくれてましたよね?どうしたんですか?」

「ベテランのKさんが早期退職するって今日言われたんや。私もビックリしてな。Kさんは何を言っても聞かない人やからな。止める事出来へんのや。Oさんも来年定年やし、もう、うちこれじゃ回らないんやわ・・・。これで、君も抜けるやろ?もうやって行かれへん。。。無理や。」

課長は顔を真っ赤にして、頭を抱えた。

俺も一呼吸おいて、

「でもね・・・僕だって同じなんですよ。僕の2年とKさんの2年は全然意味が違うんですよ?僕だって引く事出来ません・・・けど・・・、それは・・・あー、参ったなぁ・・・。」

今の現状を分かっている分、本当に危険なのは目に見えてる。

今までベテラン、中堅社員5人で回していたモノを3人が抜けて、新入社員をそこに入れて回そうとしているのだから。

トラブルがあっても対処する事が出来ないのは目に見えてる。

課長は
「あと、3年・・・いや2年でもええっ!なんとかならんか??」

なんとかしたい。
でも

「2年?!今回だって1年がどれだけ大きいか!2年って言ったら、僕が28歳になる歳じゃないですか。30歳までにやる事考えているのに、厳しいですよ!」

課長も課長という立場でも俺の事を応援していてくれた。
君だったら、好きな事で何度も這い上がる事が出来ると一個人として応援していてくれたのだ。

「わかっとる、わかっとるけど、緊急事態なんや。だからこんだけ頭下げとるんやろ?私だって、応援したいよ。」

話は平行線。。。。

駄目もとで聞いてみた。

「まぁ、多分駄目でしょうけど、もし何年か延ばすとして、その条件として、お給料を上げて頂く事は出来ますか?」

というのも、外国人の友達に延期の話をすると、全員が全員「ちゃんと給料上げてもらったの?」と聞いたのだ。
そんな事出来る訳がない、ここは日本だぞ?欧米風に交渉なんて出来る訳がない!

でも、駄目元で聞いてみた。

「それは無理やろう、だって給料はその自分の能力に見合ったポイントで決まって、能力も上がってないのに額を引き上げるのは他の社員にも目を付けられる上に、責任だって大きく圧し掛かる。・・・まぁ多分無理やろうけど、緊急事態やから部長に相談してみるけど・・・。」

と言われたけど、正直すっきりとしない。
別にお金が欲しくて、この一年居る訳じゃない。
課長にも成績を上げさせるという、嘘の報告をさせる事にもなるし、
部長にも嫌な役を果たさせる事になる。

会社のシステムを知っているからこそ、そんな事出来ないのは自分でも良く分かっている。

半分冗談で言ったつもりだったが、何か釈然としない。

後日、やはり「無理だ」という事は分かったが、
なんの解決にもなっていない。

無理だから「じゃあ、交渉決裂ですね、はい、さようなら」
と言えるのかと言ったら、言えない。

そんな事どーだっていいんです。

正直、今仕事が楽しくなってきているんです。
課長に言われた事で、少し安心している自分も居るです。

でも海外への思いは全く変わってません。

課長が「わかった。じゃあ来年の5月な・・・。」と渋々言ったあと、
物凄く罪悪感に苛まれた。

仕事を辞めるという事は
「後を発つ鳥、水を汚さず」とはいかない。
会社にとって、物凄い損害を与えたのと同じ事なのだから。

だから、息をぐっと呑んで

「さようなら」

と言うしかない。

でも28歳で海外に行くにはちょっと遅過ぎる。

海外は年齢は関係ない。

経験とコネクションと運がモノを言う。

と沢山の方からのアドバイスに共通する事だと学んだ。

だとすると、28歳も遅くないのかとも思ってしまう。

Kさんを説得する事は絶対に出来ない。
Kさんから課長は口止めされているから。
自分も周りには言わないで欲しいと口止めしているように。

一番辛い課長の事を思うと、自分のして上げられる事って

「YES」

という事。

それで、丸く収まるんだけど・・・。
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by unntama01 | 2008-11-15 07:04 | 日記
11月から神戸市は粗大ゴミに料金が掛かってきます。

他県ではすでに施行されている法令であるが、神戸市もやっと進んできたと言える。

神戸市の粗大埋立地は50年で満タンになると数ヶ月前の新聞に載っていたのを覚えている。

発展途上国故の負の遺産である。

人はなぜモノを集める習性があるのか?

数十年前のブリキのおもちゃに何故数十万円の価値があるのか?

なぜビックリマンシール一枚に数十万円の価値が付くのか?

何故似たようなモノでも集めて並べたくなるのか?

理解出来ない訳ではない。

彼の自分も匂い付き消しゴムを数十個引き出しに並べ、ロケット鉛筆を100本近くストックする事で美を感じていた。

無駄に文房具が多い事を誇張して、学校で優越感に浸り、成績がクラスで後ろから数えた方が早かった自分を思い出すと穴を掘ってブラジルまで行って銀河系へ飛んで生きたい気分です。

人それぞれモノに対する価値観があり、物欲を見たす事で生活のモチベーションを上げる事が出来るのなら他人がとやかくいう事ではない。

しかし、自分の価値観は酷く濁っていたのだと気付かされた。

実際にカウンター越しにお客様から代金を頂き、その中から自分に見合った価値の提供がお給料へと返還される。

お客様から頂いた代金よりも遥かに少ない金額が自分が働いた分の価値だ。

その労力と時間を自分が生きて行く為の糧に置き換えた時に、どれだけの価値がモノにはあるのか?

数ヶ月前まで確かに服を山の様に購入していた。

その時は最高の一枚だと思って買った服が、数ヶ月経つとなんの魅力も無い布キレへと一変するのだ。

その繰り返しが生きる過程に於いて、心のゲージを満たしていたのだろう。




今回、家の中にある粗大ゴミを一気に捨てる事で、
モノの価値が一瞬にして失われる瞬間を目の当たりにした。

そして、最低限のモノだけが残り、それでも生活は成り立つのだ。

日本人は古来から「勿体無い」精神を重んじ、
「物がない」「物が惜しい」と物を大切にするように育てられてきました。

それが経済大国な上、物が有り溢れ、それでも捨てる事が出来ず物がどんどん溜め込まれて行ったように思います。

時代の背景から便利な物が次から次へと生み出され、使えるのに捨てていく現状。それもゴミが溢れる大きな要因。

足で踏むミシンを頑張って使えとまでは言わないが、なんでもかんでも電化製品や化学薬品に頼り過ぎなんだと思う。

今年一年で得た大きな心の変化は『価値観』について。

本当に必要な物って結構限られていると思うんですよね。

ほんと、しんぷる いず ざ べすと なんですよ。

セーター一枚に7万円かけてる人に言ってやりたい。

でも人の価値は他人が決めるんじゃない、自分で見出すモノなんですよね。

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by unntama01 | 2008-10-27 05:04 | 日記

決断と覚悟は同類項??


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10月1日にカナダ大使館より2009年度のワーキングホリデー募集要項が発表されました。

2008年度の当初の予定は5000人と前年と変わらない募集だったが、
あまりの人気で発表から3ヶ月で募集人数を到達。
新たに4000人を再度募集したという異例の状況。

その前例から今年は募集10000人と大幅に増員され、参加者としては落ち着いてワーキングホリデーについて準備出来るのだ。

しかも前回まで募集者はカナダ以外で申請しなければならなかった所を
今回はカナダ内でも申請する事が出来るという。

そうなると、進路が変わってくる。

移住、永住を目標とした人にとってはこれ程までに優位な条件はない。

なぜならば、ワーキングホリデーは一生に一回。
資金がなくてもどんな仕事でも能力さえあれば出来る。

働く事が1年間許された期間に学校に行っていてはビザが勿体無い。

ビジター又はスタディビザでカナダで英語の勉強をしてカナダの生活に慣れたところで、国内でビザの変更をすれば長くカナダに居る事が出来、また就職のチャンスを手に入れる確率も高くなる。

失業率8%と日本よりも高いカナダの現状に於いて、生活するには厳しいものがあるが、要は実力と努力さえあれば目標到達へ近付く事が出来るのではないかと。

このワーキングホリデー募集要項の内容から、今までもやもやしていた頭の中がすっきりした気がした。

私はビジター(観光ビザ)でカナダに行く事にします。

カナダでは6ヶ月未満であれば就学する事も可能。

当初は1年間きっちり勉学に励もうと思ったが、カナダの何も知らないのに不安な賭けをしないでおこうと思ったのだ。

就学ビザも決めた学校の許可証がなければ得る事も出来ない。

学校の雰囲気も何も知らないのに決めてはいけない。
大学もうっすら視野に入れているならば、しっかり自分の目で確かめたい。

まずは語学学校だが、ゆくゆくはスキルな学校も考えている。

ゆっくりは出来ないが『百聞は一見にしかず』がポリシーな自分には納得のいく決断だと思う。

決断?

けつだん・・・

ケツ弾。

KE・TSU・DAN!!

後に戻る気はないのだが、やはり不安は付き物である。

決断するにはやはりまだ早い?

今まで全てを養ってきた大地や環境を離れて一人で生きていく覚悟は出来ている。

それは自分が納得出来る生き方を選んだからだ。

未だ『本当に遣りたい事』は見つかっていないが、死に物狂いで生きていかなければならない。

赤子同然なのだから。

覚悟はあるのだが、決断はどうだろうか?

決断 : 意志をはっきりと決定すること

覚悟 : 危険、不利、困難を予想して、それを受けとめる心構えをすること

言葉の使い方は間違ってない様に思うのだが、果たして頭ごなしに決めてしまって良いのだろうか。
もっと柔軟な発想が必要ではないのだろうか。

例えば現地に着いたら、良い人と巡り合って結婚しちゃった。

とか。

例えばたまたま始めた仕事が実は天職で思っていた目標とは違った。

とか。

はたまたカナダは肌に合わなくて地中海に飛んじゃった。

とか。

どうなるかはわからない。

内心年齢や経済力の観点から物凄い焦ってるのだが、去年発たなくて良かったなって思ってます。

ワーホリビザも取得していたし、学校も決まっていた。

それはそれで何か良い方向に向かっていたのかも知れないが、この一年間充電した甲斐あって、重大な事柄にも参列出来たし、貯金も一年分増えた。
新しい出会いも沢山あり、嬉しい出来事にも参列出来る。

よく『タイミング』が大切だと言うけれど、タイミングって結局後で自分がどう思うか、後悔したか、してないかだけだと思う。

タイミングを読む事が出来るのならば、「失敗」という言葉などないのではないだろうか。

どんな不運な事にも意味があって、考えようには幸運な事なのかもしれない。
それだけの精神力と時間は要するかも知れないが。

話しは少し脱線したが、

善くも悪くもこの一年は覚悟を持って留まる事の決断が次に繋がると思われる。

貴重な20代の一年を払ったリスクはこれから先、後悔する時が来るかもしれない。

2008年にカナダで大きな発展があったかも知れない。

でもそれは誰にも分からない事。

常に志し高く、我武者羅に努力さえしていれば人は認めてくれる。




ただ・・・・・





私のメンターはバンクーバーに居る。

モントリオールに行きたい私はどうしたら良いのだろうか
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by unntama01 | 2008-10-06 01:47 | 日記

美しき国 日本

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日本経済は回復基調にありながら、米経済の減速、サブプライムや原油高騰、金融市場の混乱が回復を鈍らせ、今また踊り場的な状態を迎えていると思われる。

その一方、足元では原油価格の高止まりが続き、食料品価格の値上がり、マスコミ間ではインフレが騒がれている。

そんな中私たち中流国民の生活面に目を向けると未だ豊かさが実感できず、安全安心さえも軽視されがちな事件事故が相次いでいる。

海上自衛隊イージス護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」の自動操舵に頼りきった報連相不備が原因の衝突事故。
中国ギョーザ中毒事件も未だどこで混入されたか、解決出来ていない。
エレベーターやエスカレーターの挟まれ事故や公園や遊具の子供の事故も頻繁に発生している。

それらの原因として様々な構造的、制度的な要因の背景が浮かび上がっているが、安全確保の業務に携わる事業主体や従業員の倫理観の希薄化には誰もが震撼たる思いを持っていると思う。

今までただ惰性で生きていたこの国の不安要素を明確化する事でこれからまだまだ色んな事が起きるのかと思うと不安に苛まれる。

何を食べて生きていけば良いのか。
どこを歩けば安全なのか。
誰を信用すれば良いのか。

私が世の中に少しだけ関心を持つようになってから気付いた事。
私が10代の頃もこの様な世界だったのか。

改善をすればするほど、問題が発生する。

これからも指を咥えて黙っているしかないのか。。。。
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by unntama01 | 2008-06-29 03:20 | 日記

家族⑥

ウチのおばあちゃまです。

とても90前とは思えない、美貌の持ち主。

おばあちゃまはみんなの架け橋です。

おばあちゃまはみんなの太陽です。

おばあちゃまに敵う人は居ません。

いるとすれば、
おばあちゃまが愛した、おじいちゃまかもしれません。

おばあちゃまは言います。

「あなたたちには敵わないわ。鳶が鷹を産んでしまったのかしら。いえ、雀が鷹を産んでしまったのね。」

おばあちゃん、それは大き過ぎるよ・・・。

おばあちゃまは丁寧な口調で、清楚な立ち振る舞い。

何をするにも奥ゆかしい方なのだ。

ある人が言いました。

「女性の最終形態は『サザエさんのふねさん』よ。」

その意味としては、おふねが一家の隠れた大黒柱だからというのだ。

大黒柱は波平さんじゃねーか。

いえいえ、波平さんは大黒柱で間違いない。

それを手の上で転がしてる観音様がふねだと言うのだ。

言われて見れば納得する。

ふと、思い出したのがうちのおばあちゃま。

手の上で転がしてると言うと語弊があるが、
なんでも一歩下がって「はい。」というおばあちゃまが何かを言った時は、
誰も何も言えないのは確かだ。

なるほど。


おばあちゃまは電話を切る時決まって

「お電話ありがとうございました。お体にはお気を付けて下さい。御免下さい。ありがとう。さようなら。」

この様にして電話を切る。

そして、相手が切るまで待っているのだ。

相手とお別れをするのを惜しみ、電話で御話できた事を感謝し、またさらにこの時間に感謝し、また寂しいけど、またお話できる機会を願って・・・・。

そのような思いがひしひしと感じる。

究極のgood byeです。

おばあちゃまの娘である私の母がいかに心が広い人間に育てられたかよく分かる。

おばあちゃまは菩薩様のようです。

いつでも私たちを見ています。

今期も綺麗な紫陽花が咲いてよかったね。おばあちゃん。

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by unntama01 | 2008-06-17 01:46 | 日記

家族⑤



今年の5月に家を出ようと思いました。

もう限界だと。

兄は就職が決まって、この夏には家を出るというし、妹も祖母の家に行きたいと。

私ももう無理だと諦め掛けていたその時、

「やっぱこの状態よくないで。」

兄が意を決して父親に話を持ちかけたのです。

親父の仕事の事や家庭の事、気持ちの問題からこれからの事。

家の中で一番努力しているのは、兄だ。

仕事の事も家事の事も一番良く考えている。

どんなに疲れていても、一番動いているのは兄だ。

だから親父は兄の話を聞こうとする。

「兄だけでいい、あとのもんは家に居て貰っても目障りだ。」

そんな風に父から言われていた。

父がそう言いたくなる気持ちも分かる。

何もかも上手く行ってなかった。

癪に障ること全てに憤りを感じていたのは知っている。

だから触れないでおこうと思っていた。

しかし、話せば分かるのだ。

兄が切り出した話のお陰で、親父とも話し合う切欠が出来た。

「寂しかったんだ」

家に帰っても子供たちは自分に対してそっけない態度をとるし、言われた事はしない。
一番上の立場に居る事で誰とも話す事すら出来ない。

その環境を作り出したのは自分自身である事も重々承知している。

昔の人間だって事、親父の父親とも険悪な仲。

家系の負の歴史を自分一人で断ち切ろうと孤独だった事。

色んな悩みの種が親父を苦しめていた。

唯一信頼出来る人がそばに居ない。

そんな状況を知りながらも、親父の事を悪者扱いにして、
発言の一つ一つに腹を立てていた自分たち。

理不尽に怒りたくなくても、
精神面でずたずたにされていては親父も穏やかな気持ちになれないのだろう。

「今からやり直せばいい」

兄は言った。

「コミュニケーションがなかった事が一番の問題だ。」

血の繋がった家族だからこそ、大きな問題を一緒に乗り越える事が出来る。

好きな人にはこれでもかというくらい、尽くしたくなる。

コミュニケーションをとる事で、これからもっとお互いを好きになるんだ。

「よし、一ヶ月に一回、みんなで飲みに行こう!」

その日から変わった。

毎日、親父とも会社の話やプライベートの話をしている。

今まで会話がなかった分照れくさい所もあるが、親父も同じだ。

1品しか作れなかった親父が毎日、料理をして
疲れて帰ってきた私たちに振舞ってくれる。

私たちも親父と目を合わせるのが当たり前になり、部屋から出て家事をする。

家の中が少しずついい雰囲気になってきているのが分かる。

あれから3ヶ月すでに2回飲みに行った。

昔話に花を広げ、とんでもない醜態を笑い話で盛り上がる。

帰りにはお決まりのアイスクリーム。

やっぱり、家族で食べた後のアイスクリームが一番美味しいと思う。

切欠をくれた兄、協力する兄弟、
何よりも、今まで誰とも同じ目線に立とうとしなかった親父が私たちと目線を合わせて話を聞いてくれる。

今、少しずつ幸せの方向に向かっている気がします。





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by unntama01 | 2008-06-16 18:07 | 日記

家族④

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小さい頃を思い出してみると、辛い思い出ばかりではない。

日曜の晩になると食事の後、決まってかくれんぼが行われた。

家には二つの階段がある為、隠れていても何通りものルートで鬼の隠れている場所に辿り着くことが出来るのだ。

小さかった私たちはあらゆる所に隠れる事が出来、探す鬼も全神経を張り巡らせておかないと、捕まえるのも大変だ。

かくれんぼには少々大きくなった私たちが次にはまったのが『UNO』
カードゲームだ。

人数が多いほど一つのゲームの迫力は全く違う。

夏には庭で蚊と戦いながらバーベキューをした。

それぞれ母の作った料理をバケツリレーのように運び込み、片付けもバケツリレーで戻していく。

日曜の昼は小さい時から近くの山に登って茶屋でラーメンやうどんを頂くのが日課。

その後に買って貰うアイスが何よりも美味しく感じた。

土曜の昼は決まってラーメン。

ラーメンの後はTVの『吉本新喜劇』を観てお昼寝。

その時はその時で幸せだった。

それぞれが大きくなる事で当たり前にしていた事が出来なくなり、
それぞれの楽しみも変わってきた。

自我を持ち反抗期を迎える。

兄や姉が反抗期を迎えても何がなんだか分からない下の子もどうして良いものか黙り込んでしまう。

血筋的に自己主張が強い為、親も大変だったのだと思う。

多分、一番我侭だったのは私だったのではないだろうか。

今では妹や弟が居るが、それまで暫くの間末っ子だった為かとても甘えん坊だったはずだ。
自分でも分かる。

何事にも探究心を惜しまない性格だった為、色んな事をしてきた。

まず、親が美味しそうに飲むモノが欲しかったようで、自分で開けて飲んでいたビール瓶(齢3歳)

字が書ける喜びを大きく表現しようとして、新車のシートに油性マジックでお絵かきした(齢4歳)
町に出かけたら間違いなく何かに興味を取られ迷子になるが、必ず家には戻る帰省本能事件(齢4歳)

電源と言う名のスイッチが私にとってあまりにも興味をそそる物だったらしく、車のライトを付けっ放しにし、バッテリーを上げ上げ事件(齢5歳)
また、ドアについている『カチッ』となるものが気になり、押した次の瞬間ドアを閉めて車に閉じ込められるチャイルドロック事件(同齢5歳)

なんと言ってもワースト1に輝くのは

電球が温かくなる事を知り、寒い冬の枕を温めようと電球に押し当て、そのまま寝てしまい、
夢の中の煙で目が覚めたら、部屋一面向こう側が見えない煙の嵐。
カーテンと共に枕と後頭部が焼けてしまい、ザビエルになった齢12歳。

父は本気で私を殺そうと思ったそうです。

そんな楽しい思いでも、私たち家庭には無くてはならない『思い出』ですね。
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by unntama01 | 2008-06-16 02:37 | 日記

家族③

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兄弟とは小さい頃よく喧嘩をしていました。

喧嘩というよりも、上が下を虐めて、下が何も出来ずに泣き出すという連鎖。

私自身も妹に酷い事をしてきました。

今となっては笑い話で済ませれるけど、笑い話に出来るだけで、
『酷い事をした』と言う事は一生まとわり付くものです。

又、下は上以上に辛かった事を覚えているものです。
そして、下は上が思っている何倍も傷付いているものです。

私は何かを「競う」と言うのは好きですが「戦う」と言う事はあまり好みません。

それは小さい時から育ってきた環境からかどうかは本人も分かりませんが
少なくとも誰かが辛い顔をするのは見たくありません。

妹や自分より弱いものを虐めて、
何かをした一瞬よりもその後に続く心の痛みの方がずっと辛いと感じたから。

また家族が辛い顔をするのを見てきたから。

そうやって育つと自ずと喧嘩もなくなってきました。

誰かから言われるのではなく、兄弟みんな自ら感じて労わる気持ちを持ち始めたのだと思います。

年齢が近いのもあって、服や音楽、趣味趣向の話でいつしか友達のように仲の良い兄弟になりました。

家庭の中ではかなりの団結力が出来ていると思われます。

楽しい事は2倍、辛い事は半分。

親父とのやり取りも一緒に住んでいる兄弟だからこそ分かり合えてとても楽だった。

しかし父親を悪者扱いにして、自分達だけが正しいと錯覚する。

コレも一つの大きな間違い。

何かを良くしようとする時、団結する事はとても良い事だと思います。

しかし、集団だからといって強くなったと勘違いするのは間違い。

同じ人の痛みを理解してきた人間が集まったのだから、
同じ問題について話し合う事が出来るというのが一人では出来ないこと、
つまり集団の力じゃないかと思うのです。

小さい時から、兄弟がいる事が当たり前で
多いから嫌だとか思った事がない。

兄弟が多いと、愛情が分散されていると小さいながらも思った事はあった。

しかし、そんな事は無いと今自分達が育ってきて初めて実感する。

全力でみんなの事を思い、愛し、接してきた。

だから今の自分達がある。

共に成長し、互い理解し合い、困った事があれば助け合い、楽しい事があれば分け合う。

友達のそれとは少し違う。

だから今、兄弟が多くてホントに良かった思える。

だから親の存在は大きい。

子供を育てた事はないが、子供を持つ友達や兄弟の姿を見ていると
一人でも大変だと、大変な労力を使うのだと理解する。

それを一人一人に成し遂げてきた両親。

母親だけの力ではない。
父親の偉大な力もあるのだ。

『自分達の勝手で生まれてきたんじゃないか!!』

そんな酷い事も思った事もある。

でも、今こうやって生きている事に感謝する。

生きていれば、楽しいことだけじゃない。

楽しい事と同じだけ辛い事がある。

それを乗り越えるからこそ楽しい気持ちで居られるのだ。


今、どんなに頭では分かっていても、普段の辛い事が甦る。
どんなに有難い事でも、どうしても素直に喜べない自分が居る。

過ちは繰り返さなければ良い。
今、そのように思えないのなら、今から変えていけば良い。

そのきっかけをくれたのはやはり兄弟だった。

親と子の葛藤は絶え間ないもの。

だって血の繋がった『家族』だから。

気持ちの良い『家庭』作りにはやはり辛い事も乗り越えていかなければならないのです。
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by unntama01 | 2008-06-15 20:11 | 日記

家族②


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正直な話、小さい頃から親父が苦手でした。

仕事人間だった親父は家に殆ど居なくて、
会えばに怒られて、怒鳴られて、
その内、顔を見るだけで足が竦む程怖い存在になりました。

親父は戦争の経験のあるお祖父さん(私の曾お爺ちゃん)に育てられた為、
厳格な性格を持ち、気難しく、常に威厳ある立ち振る舞いでした。

そんな父が居る家など1秒たりとも居たくなかった私は
就職と共に家を出ました。

外面だけ良くて、一人っ子に育った所為か
自分の事しか全く考えず、周りの空気を読む事は一切しない。

一つ一つの行動に苛立ち、心休まる時が無かった。

しかし自分の目的の為、また実家に戻り一緒に暮らす事になりました。

自分は貯金がしたいと帰ってきておいて、
親父が嫌だでも飯は食わせてくれという態度。

結局自分の事しか考えていないのは誰だ。

親父が二言目に「出て行け!」と言いたくなるのも当然だ。

実家に帰ってきて3年目。

最初の一年はそれほど酷いものではなかった。

しかし年月が経つ毎に怒りはエスカレートしていく。

「何もわかっちゃいない!」

ただ、親父の発言に我慢する毎日。

しかし、住ませて貰っているのに文句など言えない。

「あと1年だ・・・我慢するのはあと一年だ・・・。」

最初は多少の会話はあったが、日々口を開けば口論になるのは分かっているので、
段々口数も少なくなっていく。

そしてついに言葉を殆ど交わすことなく、
同じ家に居るのに顔を数日見ない毎日が増えた。

親父が家に居るという雰囲気だけで、自分の部屋に閉じ篭る。

親父の顔を見なくて済むルートで忍足で帰ってくる。

少しでも嫌なことから逃げようと、
少しでも居心地を良くしようと工夫する。

その考えがすでに居心地が悪い。

もう貯金なんていいから、家を出て、出発まで一人暮らしをしよう。

そうは思っても、やはり現実問題が降りかかる。

唯一、心の拠り所である兄弟との会話だけが救い。

みんなも同じように思っている。

自分たちが助け合えば、何とかなる。

そうして一日一日、争いごとが無かったと安心してしまう
間違った安堵感で日々を終えていくのです。

親父の本当の気持ちも知らずに。。。。。
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by unntama01 | 2008-06-15 20:08 | 日記