やりたいようにやる。そう自己満足。日々変わっていく考え方がやけに面白い。


by unntama01
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家族⑥

ウチのおばあちゃまです。

とても90前とは思えない、美貌の持ち主。

おばあちゃまはみんなの架け橋です。

おばあちゃまはみんなの太陽です。

おばあちゃまに敵う人は居ません。

いるとすれば、
おばあちゃまが愛した、おじいちゃまかもしれません。

おばあちゃまは言います。

「あなたたちには敵わないわ。鳶が鷹を産んでしまったのかしら。いえ、雀が鷹を産んでしまったのね。」

おばあちゃん、それは大き過ぎるよ・・・。

おばあちゃまは丁寧な口調で、清楚な立ち振る舞い。

何をするにも奥ゆかしい方なのだ。

ある人が言いました。

「女性の最終形態は『サザエさんのふねさん』よ。」

その意味としては、おふねが一家の隠れた大黒柱だからというのだ。

大黒柱は波平さんじゃねーか。

いえいえ、波平さんは大黒柱で間違いない。

それを手の上で転がしてる観音様がふねだと言うのだ。

言われて見れば納得する。

ふと、思い出したのがうちのおばあちゃま。

手の上で転がしてると言うと語弊があるが、
なんでも一歩下がって「はい。」というおばあちゃまが何かを言った時は、
誰も何も言えないのは確かだ。

なるほど。


おばあちゃまは電話を切る時決まって

「お電話ありがとうございました。お体にはお気を付けて下さい。御免下さい。ありがとう。さようなら。」

この様にして電話を切る。

そして、相手が切るまで待っているのだ。

相手とお別れをするのを惜しみ、電話で御話できた事を感謝し、またさらにこの時間に感謝し、また寂しいけど、またお話できる機会を願って・・・・。

そのような思いがひしひしと感じる。

究極のgood byeです。

おばあちゃまの娘である私の母がいかに心が広い人間に育てられたかよく分かる。

おばあちゃまは菩薩様のようです。

いつでも私たちを見ています。

今期も綺麗な紫陽花が咲いてよかったね。おばあちゃん。

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# by unntama01 | 2008-06-17 01:46 | 日記

家族⑤



今年の5月に家を出ようと思いました。

もう限界だと。

兄は就職が決まって、この夏には家を出るというし、妹も祖母の家に行きたいと。

私ももう無理だと諦め掛けていたその時、

「やっぱこの状態よくないで。」

兄が意を決して父親に話を持ちかけたのです。

親父の仕事の事や家庭の事、気持ちの問題からこれからの事。

家の中で一番努力しているのは、兄だ。

仕事の事も家事の事も一番良く考えている。

どんなに疲れていても、一番動いているのは兄だ。

だから親父は兄の話を聞こうとする。

「兄だけでいい、あとのもんは家に居て貰っても目障りだ。」

そんな風に父から言われていた。

父がそう言いたくなる気持ちも分かる。

何もかも上手く行ってなかった。

癪に障ること全てに憤りを感じていたのは知っている。

だから触れないでおこうと思っていた。

しかし、話せば分かるのだ。

兄が切り出した話のお陰で、親父とも話し合う切欠が出来た。

「寂しかったんだ」

家に帰っても子供たちは自分に対してそっけない態度をとるし、言われた事はしない。
一番上の立場に居る事で誰とも話す事すら出来ない。

その環境を作り出したのは自分自身である事も重々承知している。

昔の人間だって事、親父の父親とも険悪な仲。

家系の負の歴史を自分一人で断ち切ろうと孤独だった事。

色んな悩みの種が親父を苦しめていた。

唯一信頼出来る人がそばに居ない。

そんな状況を知りながらも、親父の事を悪者扱いにして、
発言の一つ一つに腹を立てていた自分たち。

理不尽に怒りたくなくても、
精神面でずたずたにされていては親父も穏やかな気持ちになれないのだろう。

「今からやり直せばいい」

兄は言った。

「コミュニケーションがなかった事が一番の問題だ。」

血の繋がった家族だからこそ、大きな問題を一緒に乗り越える事が出来る。

好きな人にはこれでもかというくらい、尽くしたくなる。

コミュニケーションをとる事で、これからもっとお互いを好きになるんだ。

「よし、一ヶ月に一回、みんなで飲みに行こう!」

その日から変わった。

毎日、親父とも会社の話やプライベートの話をしている。

今まで会話がなかった分照れくさい所もあるが、親父も同じだ。

1品しか作れなかった親父が毎日、料理をして
疲れて帰ってきた私たちに振舞ってくれる。

私たちも親父と目を合わせるのが当たり前になり、部屋から出て家事をする。

家の中が少しずついい雰囲気になってきているのが分かる。

あれから3ヶ月すでに2回飲みに行った。

昔話に花を広げ、とんでもない醜態を笑い話で盛り上がる。

帰りにはお決まりのアイスクリーム。

やっぱり、家族で食べた後のアイスクリームが一番美味しいと思う。

切欠をくれた兄、協力する兄弟、
何よりも、今まで誰とも同じ目線に立とうとしなかった親父が私たちと目線を合わせて話を聞いてくれる。

今、少しずつ幸せの方向に向かっている気がします。





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# by unntama01 | 2008-06-16 18:07 | 日記

家族④

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小さい頃を思い出してみると、辛い思い出ばかりではない。

日曜の晩になると食事の後、決まってかくれんぼが行われた。

家には二つの階段がある為、隠れていても何通りものルートで鬼の隠れている場所に辿り着くことが出来るのだ。

小さかった私たちはあらゆる所に隠れる事が出来、探す鬼も全神経を張り巡らせておかないと、捕まえるのも大変だ。

かくれんぼには少々大きくなった私たちが次にはまったのが『UNO』
カードゲームだ。

人数が多いほど一つのゲームの迫力は全く違う。

夏には庭で蚊と戦いながらバーベキューをした。

それぞれ母の作った料理をバケツリレーのように運び込み、片付けもバケツリレーで戻していく。

日曜の昼は小さい時から近くの山に登って茶屋でラーメンやうどんを頂くのが日課。

その後に買って貰うアイスが何よりも美味しく感じた。

土曜の昼は決まってラーメン。

ラーメンの後はTVの『吉本新喜劇』を観てお昼寝。

その時はその時で幸せだった。

それぞれが大きくなる事で当たり前にしていた事が出来なくなり、
それぞれの楽しみも変わってきた。

自我を持ち反抗期を迎える。

兄や姉が反抗期を迎えても何がなんだか分からない下の子もどうして良いものか黙り込んでしまう。

血筋的に自己主張が強い為、親も大変だったのだと思う。

多分、一番我侭だったのは私だったのではないだろうか。

今では妹や弟が居るが、それまで暫くの間末っ子だった為かとても甘えん坊だったはずだ。
自分でも分かる。

何事にも探究心を惜しまない性格だった為、色んな事をしてきた。

まず、親が美味しそうに飲むモノが欲しかったようで、自分で開けて飲んでいたビール瓶(齢3歳)

字が書ける喜びを大きく表現しようとして、新車のシートに油性マジックでお絵かきした(齢4歳)
町に出かけたら間違いなく何かに興味を取られ迷子になるが、必ず家には戻る帰省本能事件(齢4歳)

電源と言う名のスイッチが私にとってあまりにも興味をそそる物だったらしく、車のライトを付けっ放しにし、バッテリーを上げ上げ事件(齢5歳)
また、ドアについている『カチッ』となるものが気になり、押した次の瞬間ドアを閉めて車に閉じ込められるチャイルドロック事件(同齢5歳)

なんと言ってもワースト1に輝くのは

電球が温かくなる事を知り、寒い冬の枕を温めようと電球に押し当て、そのまま寝てしまい、
夢の中の煙で目が覚めたら、部屋一面向こう側が見えない煙の嵐。
カーテンと共に枕と後頭部が焼けてしまい、ザビエルになった齢12歳。

父は本気で私を殺そうと思ったそうです。

そんな楽しい思いでも、私たち家庭には無くてはならない『思い出』ですね。
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# by unntama01 | 2008-06-16 02:37 | 日記

家族③

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兄弟とは小さい頃よく喧嘩をしていました。

喧嘩というよりも、上が下を虐めて、下が何も出来ずに泣き出すという連鎖。

私自身も妹に酷い事をしてきました。

今となっては笑い話で済ませれるけど、笑い話に出来るだけで、
『酷い事をした』と言う事は一生まとわり付くものです。

又、下は上以上に辛かった事を覚えているものです。
そして、下は上が思っている何倍も傷付いているものです。

私は何かを「競う」と言うのは好きですが「戦う」と言う事はあまり好みません。

それは小さい時から育ってきた環境からかどうかは本人も分かりませんが
少なくとも誰かが辛い顔をするのは見たくありません。

妹や自分より弱いものを虐めて、
何かをした一瞬よりもその後に続く心の痛みの方がずっと辛いと感じたから。

また家族が辛い顔をするのを見てきたから。

そうやって育つと自ずと喧嘩もなくなってきました。

誰かから言われるのではなく、兄弟みんな自ら感じて労わる気持ちを持ち始めたのだと思います。

年齢が近いのもあって、服や音楽、趣味趣向の話でいつしか友達のように仲の良い兄弟になりました。

家庭の中ではかなりの団結力が出来ていると思われます。

楽しい事は2倍、辛い事は半分。

親父とのやり取りも一緒に住んでいる兄弟だからこそ分かり合えてとても楽だった。

しかし父親を悪者扱いにして、自分達だけが正しいと錯覚する。

コレも一つの大きな間違い。

何かを良くしようとする時、団結する事はとても良い事だと思います。

しかし、集団だからといって強くなったと勘違いするのは間違い。

同じ人の痛みを理解してきた人間が集まったのだから、
同じ問題について話し合う事が出来るというのが一人では出来ないこと、
つまり集団の力じゃないかと思うのです。

小さい時から、兄弟がいる事が当たり前で
多いから嫌だとか思った事がない。

兄弟が多いと、愛情が分散されていると小さいながらも思った事はあった。

しかし、そんな事は無いと今自分達が育ってきて初めて実感する。

全力でみんなの事を思い、愛し、接してきた。

だから今の自分達がある。

共に成長し、互い理解し合い、困った事があれば助け合い、楽しい事があれば分け合う。

友達のそれとは少し違う。

だから今、兄弟が多くてホントに良かった思える。

だから親の存在は大きい。

子供を育てた事はないが、子供を持つ友達や兄弟の姿を見ていると
一人でも大変だと、大変な労力を使うのだと理解する。

それを一人一人に成し遂げてきた両親。

母親だけの力ではない。
父親の偉大な力もあるのだ。

『自分達の勝手で生まれてきたんじゃないか!!』

そんな酷い事も思った事もある。

でも、今こうやって生きている事に感謝する。

生きていれば、楽しいことだけじゃない。

楽しい事と同じだけ辛い事がある。

それを乗り越えるからこそ楽しい気持ちで居られるのだ。


今、どんなに頭では分かっていても、普段の辛い事が甦る。
どんなに有難い事でも、どうしても素直に喜べない自分が居る。

過ちは繰り返さなければ良い。
今、そのように思えないのなら、今から変えていけば良い。

そのきっかけをくれたのはやはり兄弟だった。

親と子の葛藤は絶え間ないもの。

だって血の繋がった『家族』だから。

気持ちの良い『家庭』作りにはやはり辛い事も乗り越えていかなければならないのです。
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# by unntama01 | 2008-06-15 20:11 | 日記

家族②


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正直な話、小さい頃から親父が苦手でした。

仕事人間だった親父は家に殆ど居なくて、
会えばに怒られて、怒鳴られて、
その内、顔を見るだけで足が竦む程怖い存在になりました。

親父は戦争の経験のあるお祖父さん(私の曾お爺ちゃん)に育てられた為、
厳格な性格を持ち、気難しく、常に威厳ある立ち振る舞いでした。

そんな父が居る家など1秒たりとも居たくなかった私は
就職と共に家を出ました。

外面だけ良くて、一人っ子に育った所為か
自分の事しか全く考えず、周りの空気を読む事は一切しない。

一つ一つの行動に苛立ち、心休まる時が無かった。

しかし自分の目的の為、また実家に戻り一緒に暮らす事になりました。

自分は貯金がしたいと帰ってきておいて、
親父が嫌だでも飯は食わせてくれという態度。

結局自分の事しか考えていないのは誰だ。

親父が二言目に「出て行け!」と言いたくなるのも当然だ。

実家に帰ってきて3年目。

最初の一年はそれほど酷いものではなかった。

しかし年月が経つ毎に怒りはエスカレートしていく。

「何もわかっちゃいない!」

ただ、親父の発言に我慢する毎日。

しかし、住ませて貰っているのに文句など言えない。

「あと1年だ・・・我慢するのはあと一年だ・・・。」

最初は多少の会話はあったが、日々口を開けば口論になるのは分かっているので、
段々口数も少なくなっていく。

そしてついに言葉を殆ど交わすことなく、
同じ家に居るのに顔を数日見ない毎日が増えた。

親父が家に居るという雰囲気だけで、自分の部屋に閉じ篭る。

親父の顔を見なくて済むルートで忍足で帰ってくる。

少しでも嫌なことから逃げようと、
少しでも居心地を良くしようと工夫する。

その考えがすでに居心地が悪い。

もう貯金なんていいから、家を出て、出発まで一人暮らしをしよう。

そうは思っても、やはり現実問題が降りかかる。

唯一、心の拠り所である兄弟との会話だけが救い。

みんなも同じように思っている。

自分たちが助け合えば、何とかなる。

そうして一日一日、争いごとが無かったと安心してしまう
間違った安堵感で日々を終えていくのです。

親父の本当の気持ちも知らずに。。。。。
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# by unntama01 | 2008-06-15 20:08 | 日記